きのうは

ユリイカ編集長歌田明弘氏、soundwareの松木宏之氏、mattの李さんのトークライブに行ったのだけれど予想外に面白かった。その中でウォーホルの本も出したことがある歌田氏がした「ウォーホルは自意識をなくしたかったから機械になりたがった」の話から、それをきっかけに機械化、サイボーグ化願望ってあるよねみたいな話がさらっと他のゲストの口からも出ていたことを、今日学校に来る電車の中ぼーっと思い出して、そしていとうせいこうノーライフキングの中のあるくだりを正確に思い出そうと頑張っていた。迫り来るノーライフキングから逃れる唯一の手段として、子供たちがゲームの中のセーブポイントの本の中かなんかに、次々に必死に自分の具体的な部品をどんどん記述してゆくことで後世に自分の痕跡を残そうとする場面。「ジャポニカ学習帳 - 0.05%」みたいに自分を部品の足し算で構成される自立的な機械としてデータを入力してゆくのだけれど、80年代以降の社会がなぞらえられているノーライフキングに対してもう人間は消去法的にそういう方法を選択するしかないけれども消極的であってもその中でなんらかの行動は起こさなければならないほど状況は切迫している、というような内容だったと思うんだけれど...。その中で「なりたいものは機械」と言い切る子供がたしかいたんだけれど、主人公たちは自分の部品の足し算が100%にならないよう、その割り切れない部分を残すことで本当の唯一の抵抗をしたんだったっけ。最初の話に戻るけれど、昨日の「なりたいものは機械」というときの、くったくのなさが、なんだかノーライフキングが書かれてからたった10年でずいぶん遠いところまできたのだなと感じた。