11/9のはなし かため

友人Mと待ち合わせをして、辻堂のスーパー銭湯に行った。
遠藤にある大学の方から辻堂駅に向かう幅の広くて暗い道沿いにそれは建っている。大学からいつもの湘南台行きではなく辻堂行きのバスに乗り、暫く左右に拡がる畑を見ていると、この大学はなんて田舎にあるのだろうと(もう何回目か分からないけれど)思わされる。いつの間にかまわりが古い農家や住宅から突然新しい団地の光景になって、視界が開ける瞬間がくる。
団地とは言っても、多摩の方のような大規模なものでは全然なくって、全体の陳ねていないミニマルなおさまり具合は可愛らしい。この町が「郊外の団地」と声を出したときにふっとよぎる、少しだけ暗い感じを受け止めたうえで努めて明るく振る舞っているような気がするのは、私が小さいころに住んでいた団地よりもだいぶ新しいからなのかしら。昔私が住んでいた宮崎台という田園都市線沿線の小さな町とは、まだだいぶ細っこい幹を持った街路樹がたち並んでいる光景は同じだ。だけれども、この辻堂の、「大きな新しい箱は用意されているのに、肝心の中に住む人が圧倒的に少ない」、感じに私が馴れることはいつまでたってもないと思う。
ちなみに、宮崎台という町から引っ越してしまってもう15年以上経つけれど、私が小さいころと殆どこの町は変わらない。かといって廃れもしない。凄く素朴な町なんだけれども、たまに声変りしないまま年を重ねていったカルロ・ブロスキの声のような不思議なきらびやかさを見せるときがあって、そこが本当に好き。そんな町の中で、私がいたのは凄く暗い団地だったんだけれどね。いけない、自分の生まれた町を持ち上げすぎちゃった。
スーパー銭湯は辻堂の市街に入ってすぐのところにあって、蛍光灯の光を、道に投げていた。和風ファミレスみたいだけれど、なんだか全然嫌な感じはしなかった。スーパー銭湯凄い。1000円で髪の毛が切れるところから、食事できるお座敷みたいなところまでついていて、抽選で4万円相当の温泉宿の宿泊券配っちゃうし、一つの建物の中で生活の中のいくつもの必要なことが済ませちゃう感じ、サイクルが生まれている感じは本当、凄い。これで550円。都内にも増えて、「郊外」感を持ち込んで欲しいな。
銭湯には何組もの家族づれが来ていた。お父さんにお母さんにチビッコチビッコ。これファミレスでもおんなじなんだけれど、本当に幸せそうな顔をしている家族を見ると、ついどうしても条件反射的に泣きそうになってしまうのはなんで何だろう。けして他人事と思えない、懐かしくもあるけれど胸がいっぱいになる感じを、誰かに分かるように書くことは出来ない。2回も書きかけて、迷って消してしまった。
2時間くらい銭湯でゆっくりしてから9時くらいに2人で湘南台行きのバスに乗り、大きな森のように沈んでいる暗い住宅地の間を抜ける細い道を左に右にゆれる。しばらくするといつの間にか道幅はだいぶ広くなっていて、学校だとか工場だとかが並ぶような地域に出る。そっくりの、がらんとして誰もいない黙った十字路がぽつぽつと連続してあるので、もう湘南台の辺りに出たのかと横に座っていたMに聞くと、いや違うと言う。こういう匿名的な、地名とかどうでもいい感じのなげやりの町並みは、全国津々浦々のたくさんの新しめの郊外の中でもかなり、いいところをいけるルーティーンワーク感だと窓の外を見ながら考えた。夏に車で熊野に行った帰り、名古屋辺りで高速に乗る手前でもこういう景色を見つけて驚いた気がする。「まだ名古屋だと思ったらいつの間にか大学の辺りまで帰ってきたんだ!」みたいな会話を笑いながらした記憶があるから。まあでも、真っ暗くて外は殆ど見えなかったから、昼間また通ったらきっと私のことだからすっかりそんなこと忘れて思い出さないかもしれない。
彼女の家に着いてから、おいしいコーヒーをいれて、二人でアークロイヤルのアップルミントを吸って、持って来た大友良英のnew jazz ensembleのEUREKAを聞いて、しばらく話をしてから帰った。銭湯いいな。