さいきん

この夏はなかなかにバイトしています。そうです、お金稼ぎです、ええ。
僅かばかりだけれど。
7月の後半からついこの間までは2つのバイトをみっちりしていて、
最近Mさんから美術専門書店での翻訳という私の研究に近いバイトを貰ったので、それをしつつ、資料を読んだり。
この調子で毎月働いて、毎学期振り込んでる学費を奨学融資にでも切り替えたら生活が完全に自活できるのだけれど、なかなかそううまくはいかない。
しっかし"社会人として"働いているみんなを見てると、別にわたしが今稼いでる月10万やそれくらい、手にするのに費やす労働の重さが違う。少しずつ稼ぎながら自転車操業で学生をやるよりも、ローンででもばーんとお金を借りて悠々と研究して、その研究を生かして"いいところに"就職しちゃうのがアタマのイイ学生なんだろうなー。

正直なところこの一ヶ月で私自身の研究はなにも進んでいないのだけれど、
ただきっかけとなる(かもしれない)今まで見えていなかったものとか、出会いとか、
そういうものがひろえたので、あとは思い腰をあげてやるのみという感じです。


ちょっとだけ具体的に話すと、
大学時代は、大学であって大学ではないような大学で雑誌に関することならなんでもありというゼミで、コミュニティと雑誌メディアの結びつきとかなんかについて漫然と考えたりしていて、現在は立ち位置を比較的重要視するようなカルスタ的文化研究とそれなりに近しい場所にいるわけだけど(私は違うことをやっているつもりではあるけれど)、どうしても"ある運動を援護促進するような目的での理論の用い方"にはちょっと違和感があって。その、簡単に簡単に文化に政治性を見いだせるような感じって納得しきれないわけです。例えばバフチン的なマルクス主義の人気だとか。たぶんそれってここでいう"政治"とか"開かれの対象としての大衆"とかの言葉が何重にも重ねられている/曖昧さとつながっている話なんだよね。
今までコミュニティ形成とその実践としてのメディアが近い、という関係を比較的近いところから見ていて、その経験を引きずっている分、はっきりさせないと私にとって今やっていることはあまり意味がない。ただそれが、この夏友達とS. ホールを読み返して誤解がとけた部分もあるし、なにより大学という"知"の場に惑わされちゃうことっていっぱいあるんだなってことを最近自分が忘れかけてたということに気づけたので、多少目の前が見渡しよくなったかもしれない。