ワタリウム「岡倉天心展」

そういえばこんなの書いていたので恥をかく為に載せておきます。



天心の第二の故郷五浦出身のある知人は、僅かでも天心に興味があるのならば是非天心縁の六角堂に行って、そして温泉に入ってみろと言う。そこから太平洋を見てみないと彼のことは結局わからない、と。


簡単に言ってしまうと天心はローカルな目の前半径10mの視界(五浦)と、非常にメタでトランスネーションな景色とのパースペクティブを全くの距離感なく扱うことの出来た人だ。それは意図されたことであり、だからこそ彼は伝統絵画と西洋画の折衷的なアイロニカルな表現である"日本画"を日本と言うネーションを背負った伝統的な表現であると強さを持って言うことが出来た。ただ実際のところは二律背反的に彼はその自らの時間性のあまりない"未来派的な"交通の中で、ときにはその速さに迷ってしまったと思うのだ。ローカルに語るべきものとトランスネーションに語るべきものの取り違えである。だからこそ"Asia is one"という彼の(致命的に不用意な)発言がその大日本帝国政府へ与えた影響を持ってスキャンダラスに語られることになってしまってる。かたくなにださい(失礼!)中国服を着ながら六角堂から満足げに海を見ていた天心と、日本文化の他のアジア諸国への優位を説いた彼はけして別人物じゃない。ロマンあふれる彼は、けして自分自身が速さに目がくらんでいたとは述懐したりせずに、ただ太平洋に釣り糸をたれる。うーん。


ワタシはそこが、まさにそこが天心のチャーミングなところだと思うのだけれど、どうやらワタリウムの中の人はもっと天心をマッチョにしたかったらしい。そこには"大正まれに見るバランスのとれた国際人"に仕立てあげられた天心しかいなかった。しかも再現してあった六角堂、部屋に納まって本当に窮屈だったという感想しかない。太平洋が見えなければ意味がないのだ。今天心をとりあげることの意味は色々あった筈なのに、ただの歴史の人物としてしか扱えなかったところがこの展示の致命傷。