ここ数日の動向

なんの面白いもんでもなし、ただのメモです。
9月は実感ないまま終わっちゃった。
最近はよく談志の落語をipodで聞きながら苦手な地下鉄を乗り切っています。



28日
火曜日でここ2週間程のドタバタが一段落、それまで一睡もしなかった、とかそんな日ばっかりだったので水曜日は昼まで寝る。午後、諸事情で建築科の学生がインターンで部屋を見に来ることになっていて来訪。当然、植物が人間より幅を利かせているだけのこの狭い部屋を見に来たワケはなく、構造の方を見に。彼らが帰ったあとKの図書館へ行くも9月唯一の休館日。ついてない。仕方ないので生協へ寄って新しいen-taxi見て一人で鼻歌を歌ってその足で先週位から通っている整形外科へリハビリ。突然痛くなって医者に駆け込んだ右脇の下の筋ももう殆ど痛くない。こんんな大したことない理由でここ2週間程まわりの人に迷惑をかけまくってしまったのだけれど、簡単に痛くなくなると少し寂しい...。鍼なんてバツゲームみたいに中途半端な痛みで治癒しちゃうんだもんなあ。6時頃帰宅して仕事の準備、8時から仕事。帰ってきてロラン・バルトエクリチュールの零度』読む。気がついたら床で寝ていたので朝方1回起きてシャワーを浴びて始発の電車の音を心地よく聞きながら再び就寝。この始発の音を朝聞く、っていうのは聞くまでが不安でもあり不安が晴れるむずむずする瞬間でもあります。4時くらいからずっと不安になる。5時くらいまで目が覚めているともうここまでくると聞かずには寝れないんですよね。昔から電車の脇で育ってきて、子供の頃って夜更かしすることがないから変なあこがれ「他人の生活リズムを越境してるようなずれた感覚」があるからなのかな...。



29日
昼近くに起床。2時(半)から友人3人での勉強会。この夏続けてきた読書会、今回はロラン・バルト。友人の作ってくれたレジュメの丁寧さに感動しつつ、とりあえずバルトはフォトジェニック。しかし前回の勉強会で読んだギィ・ドゥボールといいバルトといい、ゲリラ戦的に活動し続けることで活動にパターンを見いださないやり方はものすごく共通している。だからこそ晩年の彼らの悲劇性は、ドゥボールの言葉を借りればスペクタクルが既に広まってしまった時代しかしらない僕たち(浜崎あゆみ的!)の世代からするとよけいに感じてしまうんだ。彼らがその人生をかけて抗っていたことの重大さには現在からは到底簡単には共感しえない、そういうことの悲劇性。とてもではないがドゥボールにたいして嘆いてやることは出来ない。勉強会の後半はそう言った話もちょっとだけ。今考えてみると北田さんのアイロニーの話ともそう遠くない気もする(けれど、手元に本がないので適当)。.....友人に色々あり私も落ち込む。青のりラーメンを食べて友人たちに別れを告げ、閉館間際の地元の図書館に寄って帰宅。