ヘンリー・ダーガー 『非現実の王国で』

ある友人が高校時代に、『boredomsは強いから好きで、fishmansは弱いから嫌い』と恥ずかしそうに言っていて、ああ私もそうだったかもしれないと思った。陰の見いだしようのないboredoms、上野公園には百人くらいは似た人が住んでいるリーダー山塚EYEのあのしめ縄みたいな大きくて絶対臭うであろう髪の毛の中に、確かにある種の強さを求めていたから、boredomsのことが好きだったのかもしれない。きっとそうだろう、違いない。
この強さとは、例えば仏語と日本語で1対1で喋っているようなまったくのディスコミュニケーション感に近い。拡大解釈のようなアプローチを一切遮断する。高校生は「絶対」という言葉が好きだし、ね。これがこれを告白のようにしてしまう気恥ずかしさを伴うところなのだ。
そうであるならばその強さは、有体に言ってしまえば、いつかは狂気に向くはずだ。それがいいとは全く思わないけれども。寂しい偏屈な老人であったはずのヘンリー・ダーガーが相変わらずブームなのも、彼が『アウトサイダーアート』に括られているからに全く他ならない。公に発表することを目的として制作されていない作品である、ということが流行るなんて、どこかおかしい。再び開店したABC青山店でも特設コーナーに置かれていたダーガーの作品集も、この肩書きさえなければ、そこにある筈がない。
性格障害ではなかったかと言われる、生涯殆ど周りとのコミュニケーションを断った状態で病院での清掃人として人生をすごしたダーガーの彼一人だけの為のライフワーク、1,5000枚を超える小説と絵画からなる『非現実の王国で』。ペニスを持つ少女たちが神のために幾度と陰惨な目に遭わされつつも理想の実現のために戦う物語。彼は、これを人に知られることを何よりも恐れていた。
そりゃ、性的な危なさ万点のダーガーの作品にみな惹きつけられるだろう。しかし強さ、ヒロイズムの象徴としてアウトサイダーアートが流行るというのは本当に、どうなのだろう。